【☆】心のもちよう、気のもちよう、そして何より思いやり【思考法】

優しい心で、穏やかに生きる。

 

 

どうも。masa☆くるぷぴぃ(@masataro_2525)です。

 

 

今回はノートルダム清心学園第4代理事長 渡辺和子氏の『幸せはあなたの心が決める』から学んだことをシェアしていきたいと思います。

 

この本はキリスト教カトリックの視点から、書かれており非常に読みやすく、内容もわかりやすいといった印象でした。

 

 

では、早速!

思いやりのある批判をする

外国人の赤ちゃんの画像

 

普段私たちは他人を批判することは、さほど難しく感じません。しかし、自分に対しての批判を受け入れることは簡単ではないと感じるのではないでしょうか。

 

それは、批判されるということが、ある意味で「裁かれる」ことであり、往往にして自分が否定される可能性持っているかもしれないからです。(Via:27頁)

 

批判は「裁かれる」こと。

 

批判する能力は、人間に与えられた特権です。ですから、これを用いることはとても大切なことです。

ですが、相手への思いやりや優しさがあってこそだと思います。

 

たとえば、次の2つの文章で考えてみましょう。

 

  • 「あの人は、正直者だけれど仕事が遅い」
  • 「あの人は、仕事が遅いけれども正直者だ」

 

この2つの文章の意味は同じです。

しかし、どこを強調するかのよって私たちが与えられる印象が変わります。

 

この例の場合、1つ目の文章からは「Aさんは仕事が遅いという印象」、2つ目の文章からは「Aさんは正直ものだ」という印象を受けたのではないでしょうか。

 

つまり、相手の悪いところを強調しようとしているのか、相手の良いところを強調しようとしているのかの違いなのです。(Via: 28頁)

 

世の中には常に相手をおもしろおかしく、悪くいう人が存在しますが、そういう人の言うことはスルーした方が心がラクです。

そして何よりも、悪い批判ばかりする人と一緒にいると精神的に疲れます。

 

反対に、相手の良いところを強調しようとしてくれる人といると、自分に自信がつきます。結果として、自己肯定感が高まります。

つまり、プラスの伝播です。

 

私たちの誰一人として、この世に自分から望んで生まれてきた人はいません。ということは、つまり皆、生きることに自信を持っていないのです。

だからこそ、つらいこと、苦しいことの多い人生を生きてゆくためには、「あなたは生きていていいのだ」という、他人からの励ましと優しさが要るのです。(Via:28-29頁)

 

生きることは、つらく苦しいことです。その中で私たちはみな、自分なりの幸せを感じるために毎日一生懸命生きています。

 

 

お互い、つらいことの多い人生を生きているのですから、わざわざ相手の悪い点や相手が気にしていることを強調するような言い方はしない。

 

他人を批判するときでも、思いやりと優しさが必要だと思います。

誰が言おうと正しい意見を聞く

ポピーの花の画像

 

親の意見となすびの花は、千に一つの無駄はない」という諺があります。

こうした考えのもとで、口答えを一切許さない家庭のもとで育てられる子供が多く存在します。

 

母親がお腹を痛めて産んだ子供だから、大切にしたい気持ちはわかります。

しかし、大切にしているのではなく親のエゴで、子供が所有物のように扱われているケースがあります。

 

「言うことを聞きなさい」

問題は、この言葉です。

 

前項で引用した通り、私たちの誰一人として、この世に自分から望んで生まれてきた人はいません。

ですから、親だからといって子供に対して「〜なさい」と言う命令や「〜してはダメ」といった禁止をする権利などないのです。

 

子供であろうが大人であろうが、人はみな自分で考えて、自分で納得した行動をしていく権利があります。

 

「誰が何を言おうと、正しい意見には従いなさい。間違った意見に従う必要はない。」(Via:36頁)

 

では、どうやって相手の意見が正しいかどうかを判断すれば良いのでしょうか。

渡辺氏は、こう言っています。

 

相手の意見を検討するためには、まず自分が自分なりの意見、判断を持っていなくてはなりません。

さらに、自分の考えのみが正しいとは限らないという謙虚さと、他人には他人の考えがある、という相手の人格への尊厳も必要なのです。(Via:36頁)

 

まず自分の考えを持つことが大切です。

そして、自分の考えが常に正しいとは限らない。相手には相手の考えがあると言った、相手への配慮も必要なのです。

 

自分がそうであるように、他人の意見もまたその人が辿ってきた人生の歴史から生まれたものです。

相手の考えは自分とは違った人生を歩んできた、相手の価値観から作られているということを頭に入れておくことが大切です。

 

そして何よりも重要なのは、最後に決めるのは紛れもなく自分でしかないということ。

 

いくら人の意見を聞いたとしても、最終的に判断をくだすのは、ほかならぬ自分であり、したがってその判断の結果に対する責任は、あくまでも自分が取らなければならないのだというきびしさも、忘れたくないと思います。(Via:37頁)

 

 

親に言われたことでも、正しくないものは正しくないと言って聞かない。

道端で会ったオッサンに言われたことでも、正しいと思えば聞く。

 

自分をもつことが大切。

失ったものではなく、得たものに心を向ける

神秘的な画像

 

私は約3年前に、膵臓の機能を失ったのですが、失ったからこそ得られた経験が多くありました。

病気になっていなければ、海外で暮らすこともなかったし、フリーランスとして生活するという考えもなかったように思います。

 

こういう言い方は変なのかもしれませんが、今では「1型糖尿病」に感謝しています。

 

ここで私が伝えたいことは、失ったことを嘆くことはよくないということではありません。

思う存分、嘆いて、もがき苦しめばいいと思います。人生のどん底を満喫すればいい。

 

しかし、「嘆いたりもがき苦しんでもいいんだ」と自分を許して、それを「満喫」すれば、そのうち嘆き苦しむことに飽きます。

 

挫折を経験することは人生にとっては非常に大切なことであって、その時にはそれなりに、しっかり苦しんだらいい。(Via:61頁)

 

苦しむときはしっかり苦しんで、苦しむことに飽きたら自分なり次のステップへいきましょう。

 

挫折は大切なこと。自分だけでなく人はみんな何かしらの挫折を経験しているものです。

 

最後に私がいいなと感じた1文を紹介します。

 

謙虚さ(Humility)は、はずかしめ(Humiliation)を受けずには得られないと習ったことがありますが、そういうことなのかも知れません。(Via:61頁)

 

はずかしい思いをして、人の気持ちが分かるようになる。自分が辛い思いをして、他人に優しくなれると思います。

謙虚さがはずかしめを受けて、得られるように、「幸せ」も挫折を経験せずには得られないのかも知れません。

 

失ったものに心を向けるのではなく、得たものや今、目の前にある幸せに心を向けることで、穏やかに生きていくことができるのではないでしょうか。

 

 

挫折のない人生はない

挫折は自分を考え直す最高のチャンスなのです。

おわりに

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

ノートルダム清心学園第4代理事長 渡辺和子氏の『幸せはあなたの心が決める』から学んだことをシェアしました。

神学的な視点から「心」について考えてみるのも面白いですね。

 

様々な宗教の考え方も学んでいきたいと思いました。

 

 

  • 思いやりのある批判をする。
  • 意見を最終的に判断するのは自分。
  • 得たものに心を向ける。

 

 

 

新たな学びがありました。他人を思いやる気持ちを育てて、穏やかに生きていきたいですね

 

 

 

 

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それではまた。

 

いつも誰かのお陰様☆

 

 

 

 

 

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