【☆】陰陽師から学ぶ、穏やかに生きるための考え方【思考法】

陰陽師的の視点から考える。

 

 

どうも。masa☆くるぷぴぃ(@masataro_2525)です。

 

 

皆さんは、「陰陽師」をご存知ですか?

誰しもが1度は聞いたことのある言葉なのではないかと思います。

 

今回は、そんな陰陽師橋本京明氏の『陰陽師・橋本京明のとらわれない生き方』から学んだことをシェアしていきたいと思います。

 

この本は、人生人間関係親子関係恋愛・結婚お金・仕事という5つのカテゴリに分けて書かれています。

 

その中でも今回は、「人生」のカテゴリから学んだことをピックアップして紹介しますね。

 

 

では、早速!

物事に「善し悪し」は存在しない

宝石の画像

他人と話しているときに、「正しい」か「正しくない」かの正誤を追求してしまうことがあります。

もちろん、双方の価値観が似ていて、正誤で判断しなければ気が済まないという人同士の会話であれば問題はないでしょう。

 

 

しかし、家族や友人、恋人と話しているときに、「正しい」「正しくない」で会話をすると、会話がうまくいかない場合が多いです。

 

そして、相手も自分も傷つけることになります。

 

白か黒か、いいか悪いか、正しいか間違っているか、の価値基準で生きていると、基準に当てはまらない自分を責めてしまったり、相手を批判してしまったりするので、自分にも疲れますし、まわりともうまく交友関係を結ぶことができません。(Via:32頁)

 

原因があるから結果があります。

 

その原因には、白か黒かというわけではなく、グレーな部分、ファジーなところがあるはずです。

 

もし、白か黒かを判断しないと気が済まないと思っている自分がいるのならば、「凝り固まった考え方になっていないか」「相手の気持ちになって考えてみるとどうか」といった、思考の転換を挟んでみる。

 

そして、自分の心をゆるめてあげてください。

 

自分や他人に厳しく生きていると、自分をいじめることにもなり、他人からも厳しい目を向けられてしまうだけです。心をゆるめ、優しさと温かさを持って相手の考えを受け入れてみましょう。心に温かい風を感じられるはずです。(Via:32頁)

 

自分にも他人にも優しく。

 

親しい人たちとの会話を、白か黒か、どちらが正しい、間違っているという基準で話す必要など、どこにもありません。

 

大切なのは、心から相手の方に耳を向けて、悩んでいることや相談事の解決策を一緒に考えていこうという姿勢です。

 

白か黒かを決めてしまうと、「正しい=正義」「誤り=悪」になってしまいます。

 

 

私たち人間は、誰が偉い偉くない、どちらが上か下かなどということはありません。

生まれたての赤ちゃんでも、フリーターの若者でも、会社の社長でも、お年寄りもみんな同じです。

 

 

ですから、正しい正しくないにこだわらず、その人にはその人の考え方があるんだなという寛容な心で、様々な人と関わっていきたいですね。

ビジョンを持った人が素晴らしいわけではない

フィルターの画像

私は生まれてから現在に至るまで、目標をもつことが良いと思って生きてきました。

 

私の場合では中学生の時には、高校受験を目標に、その後大学受験、大学院受験を目標に勉強してきました。

そして、海外で日本語教師として働くために、資格を取るため資格学校へ行きました。

目標を立てて、その目標を実現するためにどう行動するのかを考える。

 

しかし、橋本氏は次のようにおっしゃっています。

 

もちろん、それ(ビジョンを持つこと)はすばらしいことだと思います。しかし、この世の中には目標を持つ人もいれば、持たない人もいます。

そして、「目標を持たない人はダメなのか」といえば、そうではありません。(Via:37頁)

 

新たな「気づき」です。

 

よくよく考えてみれば、目標とは自分が作り出すもの。

と、いうことは元々は「ゼロ」だったところから「イチ」を作り出した、ということになります。

 

「ゼロ」で元々。ダメで元々。

 

「人生生きてるだけで、丸儲け」という有名な言葉がありますが、まさにこの言葉がピッタリです。

「イチ」になればラッキーという考え方をすれば、目標を持たない人はダメだという考えに至らないのではないでしょう。

 

 

そして、目標を持つことよりも大事なことは、今この瞬間に感謝して1日1日を穏やかに生きることです。

 

目標を持つことも大切ですが、それよりも大事なことは、何事にも感謝の気持ちを持ちながら、目の前にあることを淡々とこなし、そうして1日1日をしっかりと生活することだと思うのです。(Via:37頁)

 

禅語に『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』という言葉があります。

暗闇の中で遠い場所に向けて、光を照らしてもその場所は見えません。

しかし、自分の足元を照らして一歩ずつその方向に向かって歩いていけば、いつかそこに辿り着くことができます。

 

 

目標がなくて自分はダメだと思ってしまう時は、「目標がなくて元々」だと考える。

 

そして、今この瞬間を丁寧に生きることを目標にしてみる。

 

すると、自分のペースで一歩ずつ足を進めていくうちに、自然と未来が切り開けてくるのかもしれません。

 

 

「目標は、なくて元々」です。

死と真剣に向き合うことで、生が尊く思えるようになる

ドクロの骸骨の画像

「死と真剣に向き合うことで、生が尊く見える」

こう言われると、なんのことだかさっぱりと思うかもしれません。

 

1型糖尿病である私は、毎日のインスリン注射を止めてしまうと、その先には「死」が待っています。

 

常に「死」と隣り合わせの状況です。

 

しかし、だからといって、毎日「死」に怯えながら暮らしているかと言えば、そうではありません。むしろ「死」と隣り合わせな「今」を楽しんでいます。

 

そして、当たり前のことが当たり前にできなくなった今、今目の前にある「当たり前」に感謝の気持ちを持つようになりました。

 

今こうして、生きていることに感謝です。

 

愛する人と幸せな日常を送れる、充実して仕事に励める、毎日美味しいご飯が食べられる ⋯ ⋯すべて当たり前のようにも思えますが、これらは「健康な身体」があってこそ実現できることです。(Via:57頁)

 

「当たり前であることに感謝しましょう」と言われても、なかなか理解できないことだと思います。

無理に感謝する必要は、どこにもありません。自分が何かを失った時に、必ず感謝する日がやってきます。

 

それが健康な臓器なのか、大切な家族、恋人なのかはわかりませんが、今ある当たり前が無くなると、何気ない毎日に感謝できるようになるのではないでしょうか。

 

そして橋本氏は、余命宣告された患者さんが相談にこられた時に「大丈夫ですよ、元気になりますから」などとは決して言わないそうです。

 

なぜか。

 

その理由を、こう書かれています。

 

私たち生きているものには、遅かれ早かれいつか死が訪れるのですから、「死」と真剣に向き合ってもらうことが先決です。(Via:58頁)

この世を生きている私たちにとって、「死」は未知の世界であり、恐れを抱いてしまうものですが、「死にたくない」とあがくよりも、生きている「今」を大切に生きていくことだけを考えたほうが、人生をより楽しめるでしょう。(Via:59頁)

 

「死」はいずれくるもの。

 

迫りくる「死」から逃げるのではなく、「死」について真剣に考え、受け入れる。

そうすると、今やるべきことに目を向けることができて、迷いが少なくなるのではないのでしょうか。

 

 

怯えていても悩んでいても、くるものはくるのです。

 

 

どうせくるのならば、怯えたり悩んだりせずに、今生きているこの瞬間を大切に生きていくことだけを考える。

 

その方が、人生をより楽しめそうです。

おわりに

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

今回は、陰陽師橋本京明氏の『陰陽師・橋本京明のとらわれない生き方』から学んだことをシェアしました。

 

 

  • 物事に善し悪しはない。寛容な心を持つ。
  • 目標は、なくて元々。自分を責めない。
  • 死はいずれやってくる。今を大切に生きる。

 

本記事では、この3点についてシェアしました。

 

最近感じることなのですが、仏教やキリスト教、陰陽師のような信仰思想も書かれている本質の部分は同じように感じます。

様々な宗教の考えを学ぶ中で、自分なりの共通項のような部分が見えてきているのかもしれません。

 

 

この共通した本質の部分が「自分とは何か?」を考えるためのヒントになるのだと思い、日々を過ごしています。

 

 

 

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それではまた。

 

いつも誰かのお陰様☆

 

 

 

 

 

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