自分で自分を苦しめないで ⋯
どうも。先日座禅体験に行ってきましたmasa☆くるぷぴぃ(@masataro_2525)です。
近頃瞑想をはじめたのをきっかけに、「禅即行動」ということで座禅に行ってきました。
詳しいことは、後日記事投稿したいと考えています。
とりあえずの一言は、とても有益な時間でした。
さて今回は悩まない自分をつくっていくための視点をシェアしていきたいと思います。
考え込むことは、「心」に悪影響です。
そうわかっていても、ついつい考え込んでしまうことがあります。
そんな時少し違った視点を持っておくと、出来事が違って見えます。
悩んでいる自分をつくっているのは、実は自分自身。
いらないストレスを感じることなく前向きに生きていくために、様々な見方・考え方は大切。
では、早速!!
「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである。」アインシュタイン
出典「アインシュタインの150の言葉」/ジェリー・メイヤー&ジョン・P・ホームズ編
日本では、何かもらったら「ありがとう」と言いますよね。
でも、中国では仲が良ければいいほど「ありがとう」と言わないそうです。
親しいからこそ、わざわざ言葉に出す必要なんてないじゃないかという考え方です。
日本では、誰かを励ます時、応援する時に「頑張れ」と言いますよね。
しかし、アメリカでは誰かを励ます時には「頑張りすぎないでね(Don’t work too hard!)」と言います。
「頑張って」と「頑張りすぎないでね」は、真逆の言葉。
日本では、「人に迷惑をかけちゃダメ」と教えますが、インドでは、「あなたは人に迷惑をかけているのだから、人のことも許してあげなさいね」と教えるそうです。
また、インドの「イエス」のジェスチャーは、日本の「ノー」のように首を横に振ります。
インドの「ノー」のジェスチャーは、日本の「イエス」のようにうなずきます。
日本の常識は、ある国においては常識ではなくなります。
そして、常識は時代の変化とともに変わっていくものです。
私の頭の中の常識も、そもそも常識かどうか怪しいです。
と、いうか常識ではない。
自分の考えが「当たり前」ではないということに気づくことができれば、新たな目線で物事を見ることができそうです。
私は1型糖尿病を患っていて、毎食前にインシュリン注射をしなければなりません。
「人前で注射をしていたら変な目で見られるのではないか」
そう思ってしばらくの間、注射を打つことにストレスを感じていました。
しかも、注射を打つことへのストレスだけに留まらず
「なんで1型糖尿病になったんだ」
とどうしようもないことへの怒りや悲しみの感情が生まれることが多々ありました。
「変な目で見られるのではないか」
これは私の「常識」、「考え」であって、注射を打っている人を変な目で見ているのは「自分自身」であることに気づきました。
自分で自分の首を絞めていました。
常識は本当にそうなのか?
自分の当たり前は、人の当たり前じゃない。
この視点は、自分の考え方を変えるだけでなく、他人に対して優しくなれる考え方であると思います。
今から7年ほど前、私が大学生だった頃の話です。学期末に漢文の講義のテストがありました。なんとそのテスト
「辞書持ち込みオッケー」
当時の私は、「辞書さえ持っていけば余裕だな」とたかを括っていました。
試験当日、教室に着いた私は、最強ツールである「辞書様」を取り出そうとカバンを探します。
あれ ⋯?
辞書が見当たりません。
頭の中がパニックになります。
その時私は、物事を冷静に考えられなくなって、「私は辞書を忘れてきたんだ」と思い込んでしまいました。
試験が終わって帰宅してから、どこに忘れてきたのだろうと思い家中を探しますが、辞書はどこにもありません。
おかしいなと思い、カバンの中の荷物を取り出すと ⋯
そこにはなんと辞書がありました。
「思い込み」が自分を錯覚させたのです。
ちなみに、単位は無事に落としました(笑)
実際に辞書を持っているのに「忘れてきた」という思いこみが「事実」を変えてしまいます。
「事実」が人生を決めているのではありません。
自分自身がどう思っているかが、現実をつくります。
「自分自身を自由にするのは、自分しかいない」ボブ・マーリー
出典「CATCH THE FREEDOM ボブ・マーリーの言葉集」
「辞書を忘れた」と思い込んでいる自分は、そう思い込んでいるので1つの判断しかできません。
「辞書を忘れた」と考えている自分を、客観的に見て「本当にそうなのか?」と自分自身に問いかける。
そうしてみると、物事を冷静にとらえられて、自由な判断をすることができます。
自由とは、「自らに由る」
ある国の首相ふたりが話し合っていると、1人の職員が慌てて駆け込んできました。
すると、地元の首相がこう言いました。
「ピーター、規則その6を思い出しなさい」
すると彼は憑き物が落ちたように、冷静になりお詫びの言葉を口にして首相室から出ていきました。
20分後 、今度は興奮した女性が入ってきて、激しい身振り手振りで首相に何かを伝えています。
「マリー、規則その6を思い出しなさい」
すると女性は冷静になり、会釈をして出ていきました。
規則その6とは何なのでしょうか。
それは ⋯
「あまりくそまじめになるな」
くそまじめにやるからいって、いい結果が出るとは限りません。むしろ、その逆のことが多い。深刻なときは、呼吸は浅く、自分のことしか考えられない状況になっています。(Via:163頁)
考え込んでいる時や悩んでいる時、ご飯を食べてもあまり味を感じられない時ありませんか?
この時「思考」が優勢になって「感覚」(五感)は閉じている状況だそう。
頭ばかりで考えてしまって、「心」を無視している状態です。
そんな時は、1度深呼吸。
そして「規則その6」を思い出して、感覚を開いていきましょう。
メンタルコントロールも血糖値コントロールも同じ。
あまりくそまじめにならずに、ゆったりと自分のペースでコントロールしていきたいですね。
「私は夢も希望もない人間です」
心理学博士の小林正観さんの言葉。
一見するとネガティブな言葉に思えますが、本質はポジティブです。
夢や希望をもつということは、もっと欲しいものがあるということ。もっと欲しいということは、今は不足だということになります。その不足の心を抱いているうちは、どんなにたくさんのものを手に入れても、本質的な幸せや豊かさはやってきません。幸せや豊かさは、いますでに満たされている豊かさに気づき、感謝できる心があってはじめて、感じることができるものだからです。(Via:168)
夢や希望をもつことは良いことです。しかし、今があるから未来があります。その今をどう捉えるかという視点です。
私にはなかった視点なので、ハッと驚かされました。
先ばかり見て今の自分をないがしろにしていてはイケマセンよね。
以前書いた記事の「脚下照顧」を思い出しました。
「脚下照顧(きゃっかきょうこ)」とは
今の自分の足元を見つめて、やるべきことをやる。
大事なのはそこであって、その一歩一歩の積み重ねが未来を作るということ。
今を見る視点を持てば、自然と現状に「感謝だな」と感じます。
例えば、ご主人や奥様に不満がある場合。「ここがダメ、あれが嫌」ということもあると思います。
「ご主人が隣のおじさんだと考えてみたら」と正観さんは言います。
隣のおじさんが毎月お給料を届けてくれたら、涙が出るほどありがたいですよね。
隣のご婦人が毎食料理を作ってくれたら、いつもありがとうございますという気持ちになりますよね。
でも、それを普通にやってくれているのがご主人であり奥様なんです。
確かに。これは親にも言えることだと思います。ありがたい。
夢や希望を考える前に、いまこの瞬間に恵まれていることに気づくことが先なのですね。
今を真剣に考えて見ることで、今に「感謝」を感じるという視点。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は、書籍『常識を疑うことから始めよう』から、私が感じた新たな視点を紹介しました。
「物の見方、考え方1つで世界が変わって見える」
そもそも自分の勝手な「思い込み」「勘違い」が自分自身の可能性を狭めているのだと強く感じました。
ポジティブに前向きに、冷静に物事を判断していきたい。
そして、問題の解決への自分なりの改善策を考えて、行動していきたいですね。
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