【☆】穏やかに生きるために3つのことを意識してみよう【思考法】

僧侶の画像

穏やかに生きていく

 

 

 

どうも。masa☆くるぷぴぃ(@masataro_2525)です。

 

 

今回は、荒了寛氏の『365日を穏やかに過ごす心の習慣。』から学んだことをシェアしていきたいと思います。

 

荒了寛氏は、ハワイに天台宗のお寺を建てたり、ワイキキ近くに日本語学校を開設したりとハワイの日本文化の定着に一躍をかった人物です。

 

そんな天台宗ハワイ開教総長、大僧正、荒了寛氏が考える毎日穏やかに過ごす方法を3点ピックアップして紹介していきます。

 

 

では、早速!

良い友人と過ごす

女の子二人の画像

 

よい友人がいるか、いないか ⋯ ⋯。その存在は生きていく上で、また「心によい習慣」をもたらし、希望を与えてくれるということで、きわめて重要になります。よく「無二の親友」といいますが、そういえる友人がひとりでもいれば、その人の人生は大きく違ってきます。(Via:34頁)

 

お互いにいいところも悪いところもわかりあっていて、許し合っている。そのような支え合う力を「善友力」といいます。

 

「善友」とは、善き友達のことです。

 

仏教では、次の8つを「善友」の条件にあげています。

  1. 【住戒(じゅうかい)】道徳的にきちんとしている。
  2. 【多聞(たもん)】知識・教養がある。
  3. 【具証(ぐしょう)】悟りをもって自分の生き方ができている。
  4. 【哀愍(あいみん)】人の悲しみがわかる。
  5. 【無畏(むい)】何ものにもおそれない。
  6. 【勘任(かんにん)】いかなる苦しみにも耐えしのぶことができる。
  7. 【無倦(むけん)】修行や慈悲の行いをあきずに続けられる。
  8. 【善詞(ぜんじ)】ことばづかいが正しくて慈しみがある。

 

善友は、これらの条件をいくつかもっています。

 

 

一言でも人生を変える言葉をかけてくれる人や、自分が挫折から立ち上がるようにアドバイスをかけてくれる人。

 

そんな人がいれば、地位や年齢に関係なく「善友」と呼ぶことができるでしょう。

この世に非難されない人などいないと考える

いじめられている子供の画像

 

人は非難されると、嫌な気持ちになります。自分だけが非難されているように思います。

 

しかし、よくよく考えてみると非難されない人などいないことに気づきます。

 

 

つまり、「非難されているのは自分だけだ」と感じるのは幻想にすぎません。

 

 

そして、人の心は非難されたり、批判されることに弱いように感じます。でも実は人の心というものは全ての非難に弱いわけではないのです。

 

 

たとえば、仕事に関しての非難にはそこまで気になりません。仕事に対する非難や批判は、案外すんなりと受け入れることができます。

なぜなら、仕事対して注意を受けたときは、自分の人格や性格を否定されているのではなく、仕事そのものに対して非難されていると「脳」が判断しているからです。

 

 

この時の頭の中は、「自分と仕事とは別のものだ」と切り離して考えています。

 

 

しかし、他人からの非難が仕事そのものに対するものではなく、

 

「こんな簡単なこともできないのか」

「全くお前はいつもダメだな」

 

という言葉を受けると悲しい気持ちになります。

 

 

なぜならこの時「脳」は、人格について否定されたと認識するからです。

仕事に対する非難ではなくて、私という人間に対する非難だと捉えます。

 

法句経に「この世のなかに非難されない人はいない」ということばがあり、人を非難したがる人は自分も非難される立場があることがわからない、と説いています。

法句経には「ただ非難されるだけの人、また、ただほめられるだけの人は過去にもいなかったし、未来にもいないだろう。現在もいない」とあります。(Via:82-83頁)

 

自分だけが非難される人間だというのは、私たちのただの思い込みのようです。

 

非難されて落ち込む必要はないし、褒められて有頂天になる必要もない。

一喜一憂することなく、今の自分を受け入れて、日々を生きていく。

 

 

そう考えると、他人の非難を気にすることなく、穏やかに生きていくことができそうです。

どうしようもないことを諦める

夕日と花の画像

私たちはどうしても、悩んでも仕方のないことをズルズルと悩んでしまう傾向があります。

それは人間の自然な感情で、何も悪いことではありません。

 

しかし、どうしようもないことを悔やんでも、現状は変わりません。

 

そんな時は、思い切って諦めてしまいましょう。

 

ここでいう「諦める」というのは、投げやりになるという意味ではなく、「物事」を自然な流れに任せるということです。

 

 

何の感情も持たずに、悩みを手放す。

 

 

私の持病「1型糖尿病」は、現在の医学では完治が不可能だと言われています。

 

発症当初は「何で自分が」「人生終わった」と思っていましたが、冷静に考えてみると人生は終わっていません。

終わるどころか、病気をターニングポイントに第二の人生が始まりました。

 

ある時、1型糖尿病について悩むことを諦めたのです。治らないものは治らないので、考えていても仕方ないと悩みを手放しました。

 

祈っているうちに「こういう病気にかかってしまったけれど、まだ私は生かされている ⋯ ⋯」ということに気づき、まわりで支えてくれている人たちへの感謝の気持ちが強まり、自分本位の祈りから他人のための祈りへと転換していきます。(Via:118頁)

 

私は病気にはなりましたが、死んではいません。

1型糖尿病を発症して、「人の優しさ」に気づかされました。

 

まさに周りの方の「お陰様」なのです。

 

そして、最近は自分だけのためにだけ生きるのではなく、自分のためにも周りの人のためにも生きていこうと思えるようになってきました。

 

 

まず自分。自分を大切にして、周りも大切にする。

 

 

どうしようもないことを諦めた先には、周りへの感謝が生まれました。

 

 

 

思い切って諦めてみる。

 

 

すると、周りで自分を支えてくれる人の思いに気づいて、自分にも他人にも優しくできる。

おわりに

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

今回は荒了寛氏の『365日を穏やかに過ごす心の習慣。』から学んだ、穏やかに生きるための3つの考え方をシェアしました。

 

  1. よい影響を与えてくれるよい友人(「善友」)を持つ。
  2. 非難はみんなされる。自分だけが非難をされているわけではない。
  3. どうでもいいことを諦めてみる。

 

この3点が、私が穏やかに生きていくための、重要な考え方だと感じました。

 

 

 

少しづつ、様々な考え方を吸収していって、日々「脳」や「心」を成長させていきましょう。

 

 

 

穏やかに、自分のペースで生きていくために。

 

 

 

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それではまた。

 

いつも誰かのお陰様☆

 

 

 

 

 

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