嬉しいご報告がありました。
昨日の私の記事を読んでくださったIDDM患者の方から
「ずっと考えていたことの答えが出た気がする」
とTwitterでコメントをいただきました。素直に笑顔です。
やるかやらないかで迷ってる人の元へ届いて、チャレンジしてみようと思っていただけた。私の経験が誰かの役に立ったんだと実感しました。
(まだ記事を読んでいないという方は
コチラからどうぞ)
実はこのブログ、開設してから1年間ほぼ放置だったんです。
ここ最近、イメージしていたことを、やるかやらないかで迷っていました。
しかしあるきっかけがあって、シンガポールから帰国して半年、やっと重い腰をあげたのです。
今回の記事では、なぜこのブログ、「いつも誰かのお陰様」を再開しようと思ったのかを話していきます。
自己表現のトレーニング
私、高校生まで、自己表現の塊みたいな人間でした。
それがいつの頃からか、一歩引いて涼しい顔で物事を捉えるのがかっこいいと思うように。
では、熱く自己表現をするのか、涼しい顔でクールでいるのか、どちらがかっこいいのでしょうか。
「どっちもできる人間がかっこいい」
時には熱く、時にはクールに、何事にも全力の人が一番かっこいい。
かつての自己表現の塊人間の感覚を取り戻すため、リハビリトレーニングのような感覚で始めたのが理由の一つです。
当事者の「心」を理解してほしい
当事者以外の方が「1型糖尿病を理解している」ということはどういうことなのでしょうか。
単に症状や治療法を知っていることが、この病気を理解していること?
それは全く、違うと思います。
1型を理解することとは「心」を理解すること
そこを伝えていきたい。
確かに医学的な面から、お医者さんが1型糖尿病を説明しているブログはたくさんあります。実にわかりやすい。
でもIDDM(1型糖尿病)について、当事者の悩みの本質を理解していない気がします。
私は、1型糖尿病の病名・治療法だけが1人歩きすることを恐れています。
「1型糖尿病?あー。注射だけ打ってたら大丈夫なんやろ?」
確かにその知識は、間違っていません。しかし、それは1型糖尿病の本質である、患者の、そして家族の心の悩み・苦しみまで理解していません。
退院後私は、色々な悩みに苦しめられました。
入院中に他人と話すのは、主治医の先生、栄養士、理学療法士、看護師の方と話すことぐらいい。関わる病院内の方は、みんな多少たりともIDDMについて知識・理解がありました。理解のある人に守られていました。
退院するとその守られた状況とは一転、他人の目があるところで指に針を刺して血糖測定をしてインスリン注射。
退院後の苦痛は言葉では表せないほどでした。
私だけではなく、多くのIDDM患者の方もこの苦しみを経験していると思います。
注射をしている姿を変な目で見られるんじゃないかと思い、しばらくの間はトイレで打っていた時期もありました。
みんなが買い食いしたりしてるのを見てると、いいな。と思うこともありました。
しかし、慣れてくれば徐々に、家族、親しい友達の前で打てるようになり、外でも勇気を振り絞って打って、徐々に打てるようになります。
そして最後には、気にせずに打てるようになると思います。
しかし、「注射だけ打っていれば大丈夫」と言った間違った知識では、当事者の「心」の部分をないがしろにしている。
私は常にビクビクして生きていました。
私のは、主に当事者の「心」の部分に焦点を当てて、1型糖尿病を広めていきたい、そう思っています。
情報交換の場になりたい
記事を通して、多くの1型、2型糖尿病患者の方に出会い、みんなで情報交換ができる場になるようにしたい。
そういうブログにしていきたい。
みんなそれぞれ得意分野がある
私は私のできることを一歩ずつ。
- 1型超尿病患者の「心」を広める場
- 1型2型の垣根がない情報交換・交流の場
2つの意味を持ったブログにしていきたいと考えています。
あるきっかけとはこれをブログでだけではなく、実際に行動してみようということ。
そんなことを、計画中です。
おわりに
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は、私がこのブログを再開した理由を、話しました。
ゴタゴタ言わず、継続していたらいつか実る。
とりあえず動こう。
止まらず、毎日行動していくことにします。
少しでも良かった、役に立った、と思ってくださった方は本記事のシェア、Twitterフォロー(@masataro_2525)よろしくお願いします。
それではまた。
いつも誰かのお陰様☆