最強のツールになるかもしれません。
どうも。masa☆くるぷぴぃ(@masataro_2525)です。
先日の座禅体験をしてきました。
前回の記事でも、少し話しましたが私、数週間前から「瞑想」をしています。
というのも、本屋さんをふらふらしていると「世界のエリートはなぜ瞑想をするのか」という本に出会ったからです。
瞑想がメンタルコントロールに良いこと、ストレスの軽減や思考の活性化などあらゆる利点があることが書かれていました。
血糖値のコントロールにも役立つのでは?と思い瞑想を始めてみました。
すると、1日目から体調もよくやる気に満ち溢れてくるくる。
瞑想の効果を実感するうちに、瞑想の派生系である「坐禅(座禅)」にも興味を持ち、1度体験に行ってみようと思い行ってきました。
今回私が体験させていただいたのは、「臨済宗」の坐禅です。
(宗派によって坐禅の方法や考え方が違います。)
では、早速!!
坐禅とはただ座るだけのことです。特別な修行なんかじゃありません。もちろん、何かを手に入れるための手段でもない。そのことをまず肝に命じておいて欲しいのです。(21頁)
スポーツでや習い事のような一般的なトレーニングでは、練習を重ねるにつれて能力の変化や、技術の向上がはっきりわかります。
それは目に見えて、感じやすい変化です。
しかし坐禅は、目に見える変化がありません。
坐禅は何かを身に付けるのではなく、逆にどんどん捨てていくものだからです。「放下着」、何もかも捨てなさい、という禅語がありますが、まさしくそれが坐禅の本文なのです。(21頁)
今まで生きていた中で、心にまとってきた思いやしがらみなどを一切合切捨てていく作業です。
そうして、生まれた時から持っている「まっさらな心」に気づくのです。
坐禅を通じて、余計なものを捨てていき
「本来の自分の姿に戻る」
先ほど「まっさらな心」に気づくと書きましたが、「心」というものは形のないものですから目で見ることができません。
しかし、私たちはその目にみえない「心」に日々大きく影響されています。
そこでどうするか。
「調身・調息・調心」
坐禅では、身体を調え、呼吸を調え、心を調えます。
身体を整えるということは「姿勢」を意識することです。
「心」は自分の意思で変えることはできませんが、「姿勢」は自分の意思で変えることができます。
そして姿勢を意識すると、長く深い呼吸ができるようになります。
「呼吸」が調ってくると、「心」が調ってきます。
「身体(姿勢)」→「呼吸」→「心」
という流れで、「心」を調えていこうというのが「坐禅」の基本的な考え方です。
今回私が坐禅を体験をさせていただいたのは、東福寺の塔頭寺院である「勝林寺」。
1550年に創設され「東福寺の毘沙門天」と呼ばれています。
坐禅体験まで少し時間があったので、本山の東福寺も拝観してきました。
紅葉の時期には、宋から伝わったとされる唐楓が絶景のようです。
【勝林寺の坐禅体験ご志納料】
・電話またはインターネットでの予約が必要です
大人1000円/高校生800円/中学生700円/小学生600円
所要時間 約60分
となります。詳しい情報は勝林寺のHPよりご覧ください。
(勝林寺のHPはコチラ)
僧侶から「勝林寺」の説明や坐禅の方法についての基本知識を教えていただきます。
15分ほど、話していただいたのち、実際に坐禅をします。
坐禅というと、長い尺のようなもので肩を叩かれるイメージがあると思います。
あの尺のようなものの名前は警策(けいさく)と言います。(宗派によって呼び方が異なります)
私は「雑念」や「姿勢」が悪いと叩かれる ⋯と思っていたのですが、臨済宗では「師」自ら叩くことはないそうです。
坐禅中に眠気が襲ってきたり、坐禅に集中できない際に、修行者が志願して一度「喝」を入れてもらう
「ありがたいもの」
私はだらけていたら「叩かれるもの」「雑念を追い払うもの」と考えていたのですが、「感謝する」ものだったのです。
本質を知らずにイメージだけで物事に接しているなと感じた瞬間でした。
「せっかくの坐禅体験ですから、一度警策を体験していってください」
と坐禅前に僧侶が一言。
「痛そうだな」と思いながらも「せっかくきたから体験だ」と思い「喝」を入れていただきました。
痛さも多少感じましたが、頭がスッキリして集中して坐禅に取り組めました。
少し不思議な感覚です。
合計2回「喝」を入れていただきました。
実際に坐禅、瞑想をしてみて感じる効果があります。
私が感じる効果は「1日が軽くなる」。そして、「脳が好奇心旺盛になる」ということです。
瞑想をした日は頭が軽くなって、体も軽くなって、1日が軽やかに進んでいきます。
「脳が好奇心旺盛になる」というのも、私の場合「本を読みたい」「新しい知識をくれ」と脳が言っているように感じます。
不思議と本の内容もすらすら頭に入ってきて、効率も良いです。
効果を感じなければ続けていないと思います。
ですが、劇的な効果を感じているので瞑想を実践しています。
とはいっても、気の問題かな?と思う時もあります。
そこで思いついたのが、瞑想をする日としない日をつくってみて脳の状態を比べてみるということ。
瞑想は科学的です。
瞑想と聞くと、「宗教?」とか「怪しい」と思う方もいらっしゃると思います。
しかし、瞑想は宗教が生まれる前から存在しています。
加えて、一定の批判はありますが、科学的にも効果があると証明されているものです。
話を戻して、瞑想をした日としない日では格段に差が出ました。
瞑想した日の1日は、とても活動的になり予定がスラスラ進んでいきます。
反対に瞑想をしていない日は、やらないといけないことはわかっているけど脳が動かないという現象に包まれます。
んー不思議。
でもこれが実際に実験してみて私が感じたことです。
坐禅は座布団をおいて、その上で座るようにします。
坐蒲(ざふ)という厚めの敷物をを敷きますが、座布団を2枚折りにして代用してもOK。
足は「結跏趺坐(けっかふざ)」という形に組みます。あぐらを欠いた状態から右足を左足の太ももの付け根に乗せます。
片足のみを乗せる「半跏趺坐(はんかふざ)」でも、あぐらの状態でも良いそうです。
足を組み終わったら、背筋をピンと伸ばします。
顔を少し上げて、胸を軽く開く感じにすると姿勢が良くなります。
坐禅の初歩的な呼吸法は「数息観(すそくかん)」。
1から10までを心の中で呼吸を数えます。
鼻から息を吐きながら「ひとつ」。
胸式呼吸ではなく、腹式呼吸で「細く」「長く」呼吸を吐くように意識します。
正直「呼吸」を意識することがこんなに難しいとは思いませんでした。
と、いうのも私たちは普段何気なく呼吸を行なっています。
人が一生で、一番多くする活動が「呼吸」ではないでしょうか。
そんな当たり前の「呼吸」に意識を傾けてみる。
このことがいかに難しいか、そして大切なことかに気付かされます。
坐禅では、目は閉じません。
「半眼(はんがん)」といって、半分目を閉じた状態で行います。
禅的に、半分は外の世界、半分は内の世界(自分の心)を見るという意味があります。
顔は前を向けたまま、目線だけを1.5〜2m前方に落とします。
目を完全に閉じると、眠気が襲ってきたり、様々な考えや思いが飛び交うため坐禅に集中できない。
そのため、「半眼」にするそうです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は、私が体験してきた坐禅体験、私が感じる効果、家庭でもできる坐禅方法を紹介しました。
「瞑想」と聞いて怪しいと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、みなさんがご存知の「ヨガ」も瞑想の中の1つです。
ヨガは体に意識を向けるのに対して、瞑想は「心」に意識を向けます。
はじめから15分、20分間の長い時間、呼吸と向き合うことは難しいと思います。
私も瞑想を始めて数週間ですが、1回の瞑想でやっと11分ほど集中できるようになりました。
集中が切れて、時間ばかり気にしていては瞑想の意味がなくなるので、苦痛に感じ出したらそこでやめましょう。
毎日習慣化していけば、その時間が少しずつ自然に伸びていきますから、少しずつ。
私は自分が成長していることを、客観的にみるために毎日の瞑想時間を累積形式で記録しています。
習慣化すれば、1日のスタートとして心や体が自然と動いていきます。
「心」を整えるいいツールに出会いました。
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