この場合の「薬」の意味は『大辞林』に説明が見える。
その場では打撃や衝撃となるが、結果として良い影響を与える物事。「試験に落ちたのも良い薬になるだろう」「薬が利きすぎる」(Via:20)
「良い薬のなる」という表現は、「良薬口に苦し」という言葉があるように、その場では辛いがのちに良い結果をもたらすという意味で理解していました。
一時的なマイナスがあり、後にプラスなことが起こるということです。
しかし現在の表現では、後者のプラスの意味でのみ使用されることが多くなってきているそうです。
その背景として、最近の薬は飲みやすいように工夫されていて、世間の認識が「苦さ」と結びついていないという時代の変化が考えられるそうです。
以下をみてみましょう。
この2つの文章はどちら正用表現です。
そしてこの場合両方とも「いい加減」と入れかえても、意味がほとんど変わりません。
この場合において、3語は類義であると言えます
しかし、異なる前後関係の時には類義にならないことが多々あるそうです。例えば
この場合の「見る」と「診察する」は類義というよりほぼ同義に近いです。
しかし、同義だからといってこれ以外の場合、例えば「映画を見る」の代わりに「映画を診察する」ということはできないということなのです。同様に
は、「なおざり」が使用できない場合です。
は「なおざり」が使用できない場合です。
言葉は時代とともに変化していく生き物です。
そんな日本語を学びたいをいう外国人学習者が増加しています。
言葉は面白いです。
私たちが今使っている言葉遣いもいずれ誤用となる時代がくるかもしれません。
若者言葉も時代の変化とともに、徐々に正用とされてきています。
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<参考文献>国広哲弥(1991)『日本語誤用・慣用表現』講談社 250頁