どうも。ここ4日、朝方の低血糖が続いているmasa☆くるぷぴぃ(@masataro_2525)です。
主治医に朝方の低血糖対策として「寝る前に1単位ほど捕食してから寝ると改善されるかもしれない」とアドバイスを受けていたのですが、なかなか実践しようとはしていませんでした。
ですが、先日1型糖尿病患者の先輩に同じことを言われ、ついに寝る前の捕食をはじめました。
私の使用している持続型のインスリンは「ランタスXR」です。
ランタスの量を減らせば良いのでは?と思うかもしれませんが、ランタスの量を減らすと日中の血糖値が高くなってしまいます。
つまり、今の私の体は朝方のインスリンの効きが強い。
そのため寝る前にゆっくりと血糖値を上げてくれる食べ物、ソイジョイをかじってから寝ました。
さて今朝の血糖値統値は・・・。
55mg/dl。低血糖・・・。
うーんうまくいかなかった。
はい。気持ちを沈めない沈めない。
うまくいかなかったら改善です。今晩はソイジョイをかじる量を増やして、明日の朝に臨みたいと思います。
毎日人体実験。
さて、今回は私がIDDM(1型糖尿病)発症後、自分が病気を受け入れるまでに思ったことや、主治医や家族、友人などに対して思っていたことを話します。
それでは、早速話していきます。
私がIDDM(1型糖尿病)を発症したのは、2015年7月中旬。緊急入院したのがその時期だったので、正確にはもっと前から1型糖尿病を発症していたと思います。
入院当初のHba1cは12.8%でした。
診察に行くと、突然医師に糖尿病と宣告されました。そして詳しい検査をしてみなければわからないが、おそらく1型糖尿病ですと伝えられました。
聞いたこともない病気。その時は、特に心の整理も必要なくただ入院するんだという軽い気持ちでした。
その後、多大なる絶望が自分を襲おうとは知らずに・・・。
入院時の医師の説明は、こうでした。
「君の膵臓という臓器は、原因は分からないが壊れてしまっています。そのため1日に4回のインスリン注射が必要です。入院中は看護師さんと栄養士さんの指導を受けてください」
文字に起こすと、冷たく見えてしまいますが、おそらく私が当時1型糖尿病と宣告され「人生のどん底に落ちている」のではと思い、先生は最低限の説明で済ましてくれたのかもしれません。
しかし、当時の私は全く「大変な病気になった」という実感がありませんでした。
なぜか。
それは1型糖尿病に対する知識が全くなかったからです。
「教育入院」だったので入院中は、糖尿病に関するビデオを見たり、栄養士の方に栄養指導をしていただいたり、理学療法士の方に効果的な運動方法を教わったりしました。
不思議なことに、病院で出会う人(医療関係者の方)全員に言われた言葉があります。
「若いのに1型糖尿病になってショックでしょう」
この言葉、今思い返すと1型糖尿病患者にかけるには、あまり良い言葉ではないかもしれません。
もちろん医療従事者の方は、病気を理解した上で心から言葉をかけてくださっているのはわかります。
ですが、当時の私は1型糖尿病に関する知識がなかったので「治らない病気なんだ」ぐらいの認識でした。
しかし、この気持ちがどんどん焦りへと変化していきます。
糖尿病に関する勉強をすればするほど、自分の病気がいかに深刻なものなのかを理解していきます。
ちょうどこの頃から、自分は「1型糖尿病なんだ」と実感しました。
自分が1型糖尿病だと実感したこの時に、主治医や看護師、栄養士の方達に言われていた言葉
「若いのに1型糖尿病になってショックでしょう」
という言葉の意味がやっと理解できました。
でも今この言葉を思い返すと、マイナスな言葉に思えてなりません。
ショックというネガティブな言葉よりも、前向きなポジティブ言葉。
「辛いかもしれないけど、前を向いて自分のペースで病気と向き合っていこう」
うん。こっちの方が前向きだと思います。
家族。泣いてましたね。
おじいちゃん、おばあちゃんも泣いていました。
入院当時の私は、1型糖尿病に関する知識がなかったので、悲しい、苦しいの感情がありませんでした。
しかし、なぜかお見舞いに来てくれた人私を見て、次々と涙を流すので、私も一緒に泣いていました。
きっとみんな、ネットなどで「1型糖尿病」を調べて、入院時の私よりも病気のことを知っていたのだと思います。
「変わってあげられるなら変わってあげたい」
と、おじいちゃんもおばあちゃんも泣きながら、まだ慣れない病院の入院部屋で一緒に泣いたことを覚えています。
当事者の自分より、周りがすごく悲しんでいたことに記憶が鮮明です。
正直、不思議な感覚でした。
何でしょうか。「自分は何も悲しくないのに、周りの人たちが自分を見て悲しんでいる」という味わったことのない感覚でした。
退院後も、家族は私の体調を心配して色々なことに気をかけてくれました。
家族なりの調べた知識で
「これなら食べられるんちゃう」と低糖質なものを買って来てくれたり
「低血糖/ 高血糖でしんどくない?」とも頻繁に聞いてくれました。
こう言ってもらえることは、ありがたいことです。
しかし、当時の私はまだ1型糖尿病を受け入れられていません。
当時の私は
「食べられないものはないし、しんどいときは自分の体なんやから自分が1番分かってる。いちいちうるさい」
と思っていました。
何度も言いますが悲しんでくれたり、体調に気にしてもらうことは幸せなことです。
でも、周囲の心配は当事者の気持ちを超えてはならないと思います。
思春期のIDDM発症の場合などは特にです。
本人が病気を受け入れられるようになってからが、初めて病気に対して家族というチームで付き合っていく、そのスタートだと思っています。
1年後でも、2年後でも当事者が自分から前を向こうとするまで「待つ」こと。
無理に周囲が引っ張っても、当事者本人のためにならないと思います。
ちなみに私は、退院してから約1年、病気と向き合えませんでした。このままではダメだと思い、当時通っていた大学院を休学し、新しい場所に身を置きました。
その後徐々に、前を向いて行けたのですが、去年の10月、夢の海外就職からわずか3ヶ月で帰国しました。
そしてまたこの半年間、病気から逃げていました。
そしてまた、様々な人の支えがあって、なんとか動き出そうと思い、このブログを通して今自分にできることを発信していこうと決意。また病気と向き合う覚悟をしました。
私はこの夏でIDDMを発症してが3年目になります。3年経っても、まだはっきりと1型糖尿病との付き合い方が分かっていません。
しかし、発症当初と比べると少しずつですが、病気に対して前向きになってきています。
それは、私の意見を尊重してくれる家族や医師やその他大勢の方々、自由にさせてくれる環境があったからだと思っています。
大切なのは当事者が向き合ってみるというまで「待つ」こと。
退院当初は本当に仲の良い友人、数人にしか自分の病気を伝えていませんでした。
「入院してたらしいね。大丈夫?」
と言われても、もう元気になったから大丈夫ぐらいしか話す気が無かったです。
なぜか。
理由は2つです。
1点目は、「糖尿病」だということを他人に伝えて、人前でインスリン注射を打つことを変な目で見られないかが心配だった。
そのため、隠れてトイレでインスリンを打ったり、昼食に誘われても「今お腹空いてないからいいや」と断っていました。
今では当時の「友達付き合いも悪かったかな?」と反省しています。
2点目は、自分が2週間毎日勉強をして、やっと理解できた1型糖尿病を、「病気を知らない人に5分で説明しろ」と言われて説明できる自信が無かったからです。
要約力のなさというか、どこをどう話せば他人に理解してもらえるかが分からなかった。
その理由は、発症時の私が1型糖尿病を本質的に理解していなかったからです。
今なら10分あればなんとか・・・。
多分です・・・。
つまり、病気に対しての正しい理解がなく、「糖尿病」と説明すれば、変に思われるのではないかという思い込みが自分自身を苦しめていました。
そんなのは「自分の勝手な思い込み」だと気づいたのは、つい最近のことです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
どうでしたか。今回は「1型糖尿病」発症当時に私が思っていたこと、苦しんでいたことを話させていただきました。
家族の方や友人が、ある日突然「1型糖尿病」を発症したという方。辛いでしょう、苦しいでしょう。
しかし、1番苦しいのは「当事者本人」であるということを忘れないで下さい。
私自身、周囲から心配して頂いて、「ありがたい」と感じています。
しかし、やっぱり「あぁだ、こうだ」と言われると「そんなのわかっている。できたら苦労していない」と思ってしまう時があります。
当事者は発症初期、そして血糖値コントロールがうまくいかない時は、自分自身に嫌になることも頻繁にあります。
今回の記事を通して、そのことを理解していただければ幸いです。