Categories: 読書 2017

【自分探し】自分とは何者なのか。死と孤独。【読書感想文】

 

 

はじめに

こんにちは。まさまさです。今日は池田晶子氏の『死とは何か-さて死んだのは誰なのか-』を読んで考えたことをシェアしようと思います。

すごく限定的な部分のみ抜粋なのですが、この数ページを読めば読むほど、理解すればするほど僕が今ぶち当たっている最大の問題、「自分とは何か」ということを考えさせられました。

少し自分の思考が前に進んだ気がします。では、読書感想文を書いていきますね。

現代人の孤独とは

満員電車では言葉を交わせないぶん、誰でもいい、誰かと言葉を交わしたい、自分を認めてもらいたいということなのでしょう。「常に誰かと繋がっていたい」、しかし、そのような孤独とは、はたしてどのような孤独なのか、そのことを私は疑問に思うものです。(Via:35頁)

著者は現代人は孤独を感じており、他人を必要としていると言っています。なるほど。確かに納得させられます。

自分自身を振り返ってみると、常に孤独を感じ他人を必要としているかもしれません。Twitterでフォロワーさん達と絡むだとか、はたまたFacebookでInstagramでいいね、コメントをもらうとか…

ここでは「孤独=空虚」という仮説が述べられています。

空虚とは、コトバンクによれば

  1. 内部に何もないこと、
  2. 実質的な内容や価値がないこと。むなしいこと。

ここでは2の「むなしいこと」ということなのでしょう。孤独はむなしいことだと認識しているのでしょうか。

もし孤独が本来空虚なのであれば、「他人と孤独を求め合う」という行為はそもそも問題の解決になっているのか。

「空虚×空虚=空虚」でしょう。となると「孤独×孤独=孤独」ということも言えましょう。何の解決にもなっていないと感じさせられました。

ハリとハリがぶつかること

二匹のハリネズミがいました。北風が吹いてきてとても寒いので、身を寄せ合って、暖をとろうとしました。しかし、身を寄せ合おうとするそのつど、お互いのハリがちくちく刺さって、痛くて痛くてたまらない。とても暖をとるどころではない。そんなことはどうしたってできない。二匹のハリネズミは、やっぱり互いにひとりでいるより仕方ありませんでした。(Via:35頁)

現代人は他人と関わる際に、ありのままではないような気がします。常に世間の目を気にする。

相手からの反応を、どう思われているのかを気にしすぎるあまり武装しています、この、ハリネズミのハリのように。そんな状態なのにも関わらず、孤独というすっぽりとした穴を埋めようと他人を求める。

しかし、ハリが刺さりあって、もどかしくも満足いくようには関わり合えない。「他人から見られたい自分」「自分にとってこうでありたい自分」これが大きな仮面となって他人との関わりを妨げているように感じます。

自分は何者なのかを考える

自分が何者でもないということを空虚だと感じる人に、それが空虚なものであるのは決まっています。何者でもないから他人に証明してほしい、そのことでようやく自分が何者であるか証明されたように思う。…(中略)なぜなら、そんなふうに感じて為される自己証明など、ウソッパチに決まっているのだから。(Via:37頁)

では、どうすれば他人との関わり合いの中で、ハリが刺さり合わないのか、僕の考えはこうです。「自分とは何かを知り、その自分を認めること」なぜこのように考えるのか。

自分が何者かもわからないまま、他人と接することにより、「他人の自分に対するイメージ」があたかも本当の自分のような錯覚に襲われます。

そして、仮面をかぶる(周りの目を気にし、周りの理想になろうとする)。それを繰り返すと自分は何者なのかということから、どんどんと離れていくことでしょう。

愛されたいという願望

自分で自分を認めることができないとは、言葉を換えれば、自分で自分を愛することができないということです。自分を愛することができない人が、愛することができない自分から逃げて他人を求め、他人から愛してもらおうなんてのは、無理です。愛してもらうために愛するなんてものは、そもそも定義に反しているからです。(Via:38頁)

もう一つ、よく「愛されたい」という言葉を見かけます。僕自身も少しセンチメンタルな精神状態の時、よく思います(笑)

この文章を読んで「そうか、自分自身を愛する、つまり、認めるというプロセスが欠如していたのか」と気づかされました。

気づいたはいいものの、自分を愛すること、認めることは非常に困難で、一朝一夕にはいかないですよね。

しかし、このような視点を自分の生活に取り入れることにより、視野が広がったり、1つの物事を違った角度から、多面的・多角的に見ることができるかもしれませんね。

おわりに

ここまでつらつらと自分の意見を言ってきましたが、どうだったでしょうか?

自分自身、IDDM(1型糖尿病)を発症し、自分とは何かを真剣に考えるようになりました。

2年経った今でも明確な答えが出ていません。と、いうか「答えなんかないのかな?」と最近感じています。

とりあえず一言、言わしてください

 

自分って何なんやーーー!愛されたい!(笑)

 

 

少しでも良かった、役に立った、と思ってくださった方は本記事のシェア、Twitterフォロー(@masataro_2525)よろしくお願いします。

 

それではまた。

 

いつも誰かのお陰様☆

<参考・引用文献>池田晶子(2009)『死とは何か-さて死んだのは誰なのか-』毎日新聞社 254頁

 

masa☆(くるぷぴぃ)

Since 2015.7 1型糖尿病(IDDM)患者

Share
Published by
masa☆(くるぷぴぃ)