「人からどう評価されているか」気になりますよね。
どうも。masa☆くるぷぴぃ(@masataro_2525)です。
人は人からどう思われているか気になるものです。
究極的に言えば、人からの評価を気にしないのが一番いい考え方であると思います。
なんせ「ラク」ですから。
しかし、そうは言っても人からどう思われているかは気になるものです。
今回は、「空間行動学」という人の何気ないふるまい、しぐさ、話し方を研究している渋谷昌三教授の『【やっぱり気になる心理 ⋯】「人からどう思われているか」がわかる本』から学んだことをシェアしていきたいと思います。
では、早速!
世の中所詮「顔」だ。
そう考える人の「心」には、美人やイケメンは得をしているという「嫉妬」の心があるのではないでしょうか。
私の考えでは、美人やイケメンの基準は人それぞれ違うと思うので、ある人から見ての美人でも、ある人からみれば美人ではないということになることもありえるでしょう。
話を戻しますが、はたして第1印象は顔で決まるのでしょうか。
答えは「YES」です。
しかし、相手を美人・イケメンだと決めるために「顔」が第1印象になっているのではありません。
第1印象が「顔」で決まるのは、人間の根本にある生物的な本能が理由です。
ヒトは、視覚が他の感覚にくらべて著しく発達しているため、まずは視覚で人や物を認識しようとする(相手が見えない場合は、聴覚が優位に働く)。
したがって「この人は誰か」を判断しようとするときは、相手の「顔」が最大の情報源になる。(Via:19頁)
つまり、人間は視覚、目で見ることを得意としています。そのために視覚を使って相手を判断するためにまず「顔」を見るのです。
では、なぜ相手を判断する必要があるのでしょうか。
それは種の生存という点において、相手が「敵か味方か」を判断する必要があるからです。
人は本能的に相手が自分の生命を脅かす人間なのかどうかを判断をしているのです。
第一印象は「顔」で決まります。
しかし、それは美人かそうでないかを判断しているのではなく、相手が自分の「敵か味方か」を判断するために「顔」を見ているにすぎません。
「堂々とハキハキした態度」の人と話していると、「この人すごいなぁ」「なんだか安心感があるな」と感じます。
しかしここで気をつけたいのが「堂々とした態度」と「偉そうな態度」は違うということです。
「堂々とした態度」
「偉そうなしぐさ」
こうしてみてみると、「偉そうなしぐさ」というよりも、「相手に失礼なしぐさ」のようにも思えます。
要するに、相手を見下すことなく。「あなたに対してなんら隠すところはありませんよ」というおだやかさと落ち着きのある態度が、内面的にも、自信に満ちた人格にみせるのである。(Via:38頁)
「おだやかさ」「落ち着き」この2つは「心」の安定があってこそ、ふるまえることだと思います。
ですから、おそらくおだやかで落ち着きのあるように見える人は、本物の人格者なのでしょう。
おだやかな態度や、落ち着きのある雰囲気は一朝一夕に得られるものではありません。
そうした「穏やかさ」や「落ち着き」は普段から「心」をトレーニングに励み、自分に優しく、人に優しく生きている中で自然に現あらわれるものなのではないのでしょうか。
私たちが人間同士でコミュニケーションを取るときには、言語が不可欠です。言葉なしでは、人間同士の細かいコミュニケーションを取ることができません。
人を知るには直接会話をするのが一番というが、それは相手がどういう意味をもっていて、どういう経歴を生きてきたかという情報を仕入れるためだけではない。
その人がどのような話し方をするかによって、相手の考え方や人柄までもある程度推測することができるからでもあるのだ。(Via:146頁)
私たちは言葉遣いによって「考え」や「人柄」を人に判断されています。
と同時に、同じように自分も相手を判断しているようです。
また、話がわかりやすい人は基本的に好感度が良いそう。相手に頭がいいという印象を与えることが理由の1つです。
「自分はバカだからわかりやすく話すことができない」
わかりやすく話すために、頭がいい悪いは関係ありません。
大切なのは、相手を「思いやる」気持ち。
「どうしたら分かってくれるかな。これで大丈夫かな?サッカーを習っているって言ってたな。サッカーを例に出して話してみよう。」
私が今まで出会ってきた教師と呼ばれる人たちの中にも、子供の反応を見て授業内容や説明の具体例を変える先生がいました。
そういう先生は、授業だけでなく部活動や生活指導面においても、思いやりを感じるところがあって、心を許すことができました。
反対に、授業中は黒板や教科書とにらめっこで一方的に話す。板書も自分のペースで、1人でどんどん進んでいくというタイプの教師の方もおられました。
私の経験上、このタイプの教師は残念ながら生徒からの信頼もなく、部活動や生活指導面にも意識が低い印象があります。
要するに、話をわかりやすく話せるか話せないかは、アタマの良い悪いではなく相手に対して「思いやり」があるかないかだということです。
そして、その「思いやり」は時に会話を超えて、人と人との「心」を繋ぐ、担い手になることもあるのかもしれません。
男性は女性から、女性は男性から自分がどのように思われているのかが気になるものです。
同性同士に比べ、異性では、しぐさや態度が異なることが多いです。
ですから、特に異性の感情や本心をしぐさや態度からは読みにくい。
しかし、1章で話したように生物的に人間は「視覚」が優れています。(視覚優位)
そのため、人間の「心」は目に現れることがあるそうです。
自分を見つめる瞳、つまり黒目の部分である瞳孔が普段より大きく開いていれば、脈アリだ。逆に瞳が収縮した状態で見ていれば、「睨みつける・観察する」心理状態に近いと考えられる。(Via:162頁)
瞳孔は、カメラの絞り機能と同じで、目に入ってくる光を調節する役割があります。
そのために、周りの明るさによって瞳孔が開いたり、閉じたりします。
そして、瞳孔は心理状態によっても変化することが研究で明らかになっています。
そう考えると、「瞳をキラキラと輝かせる」という表現は、あながち間違っていないようです。
人間は興味や関心があることを目の前にして意欲が満ち溢れているとき、自分の好きな食べ物や好きな人を目にしたときなどには、瞳孔が開き周りの人からは、「輝いて」見える。
「目力(めぢから)をアップさせる」といった謳い文句で宣伝しているアイラインやマスカラなどの化粧品が店頭や雑誌の紙面を賑わせているが、女性たちは「瞳が輝いて見える」ことの意義をよく承知しているのだろう。(Via:163頁)
意欲的に毎日を過ごしている人の目は、キラキラと輝いています。
相手の目を見れば、自分に興味があるのか推測することができる。
同時に、相手の目を見ればその人の生き方さえも見えてくるのかもしれません。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は渋谷昌三教授の『【やっぱり気になる心理 ⋯】「人からどう思われているか」がわかる本』から学んだことをシェアしました。
自分が周りからどう思われているか、ということを中心に記事を書いてきましたが、私は周りの目は気にしない方がいいと考えています。
しかし、そうは言っても気になるもの。
そんなとき、相手がどう思っているのか自分なりに理解していれば、あまり気にする必要がなくなってきます。
というか「思いやり」の心で日々を過ごしていれば人からどう思われているかなど気にすることなく、生きていけるのかもしれません。
そして、今回1番伝えたかったことは、「人が感じることはほぼ全て生物的な反応に過ぎない」ということです。どういうことかというと ⋯。
気になる人に勇気を出してデートに誘って断られても、その人が本当に自分とデートしたくないと思っているとは限らない。
「あまり知らない人だから ⋯ちょっと怖いな」と生物的な本能(防衛本能、危機感)が働いているだけなのかもしれません。
もう少し仲良く(信用できるように)なればデートしてみたいなと本音では思っているカモ ⋯。
つまり、人の行動と「心」は一致しないということです。
ですから、大切な自分をあまり周りの人たちの生物的な「行動」に振り回されないことが重要なのではないでしょうか。
人から気になることはごく自然なことなのですが、私は人を気にしない考え方を身につけていきたいと思います。
本当の自分と相手の「心」で、対話できることが重要なのではないでしょうか。
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